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都市計画の歴史(後編)日本での誕生と展開:都市計画学の基礎知識3

都市計画学の基礎知識

更新日:2022年5月13日(初回投稿)
著者:東京大学 大学院 工学系研究科 准教授 中島 直人

前回は、都市計画の歴史を解説するに当たり、まずヨーロッパ先進国やアメリカでの都市計画の源流について解説しました。今回は、日本における都市計画の誕生と発展の歴史を紹介します。

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1. 市区改正から都市計画へ

都市計画という用語は、大正時代の初めにTown Planningの訳語として誕生したといわれています。それ以前は、都市の改良を表す用語として市区改正が一般的でした。市区改正から都市計画へという用語の展開は、社会技術としての近代都市計画の導入過程に他なりません。

市区改正の始まりは首都東京が舞台で、都市問題への対応が求められました。それは、頻発する大火やコレラなどの伝染病、そして道路狭隘(きょうあい)による交通問題でした。東京の市区改正事業は、東京市区改正条例(1889年)を根拠として、江戸以来となる東京の既成市街地の改造が行われました。そこで道路や上水道などの整備が計画的に行われ、都市問題の解決に貢献しました。

前回、世界の都市計画の歴史で示した、2つの軸からなる都市計画技術の構図に当てはめると、市区改正は左上の既成市街地での事業に該当します(図1)。しかし、大正時代に入ると、農村部から東京をはじめとする都市部への人口流入が顕著になり始めます。そうした傾向に対して、海外事情に通じた一部の官僚や建築家たちが、いち早く都市化を経験したヨーロッパ諸国やアメリカの動向を踏まえ、都市計画技術の導入を図りました。市区改正から都市計画への発展を図1で表すと、左上に当たる市区改正(既成市街地での事業)からこの構図全体へ、特に右下へと展開していくことになります。

図1:都市計画の源流の位置付けと市区改正から都市計画への発展(ヨーロッパ諸国やアメリカ)

図1:都市計画の源流の位置付けと市区改正から都市計画への発展(ヨーロッパ諸国やアメリカ)

2. 旧法時代の都市計画の実現手段

日本の社会技術としての都市計画の出発点は、今からおよそ100年前の1919年、都市計画法とその姉妹法である市街地建築物法が制定されたことに始まります。この都市計画法は、その後1968年に全面的に改正されたため、1919年制定の法律を旧法、1968年制定の法律を新法と呼びます。

旧法では、都市計画を「交通、衛生、保安、経済等に関し永久に公共の安寧(あんねい)を維持し又は福利を増進する為の重要施設の計画にして市の区域内に於いて又は其の区域外に亘り施行すべきものを謂う」と定義しました。

この旧法、および市街地建築物法の中に、現在の都市計画技術の源流がいくつか見いだされます。例えば、都市施設、地域地区、そして土地区画整理事業などです。

・都市施設

都市施設とは、配置や規模、ネットワークを都市スケールで定める必要がある施設のことで、旧法では道路、広場、河川、港湾、公園などが挙げられています。これらの位置を指定し、公共事業として整備していきます。つまり都市施設は、既に市区改正で試みられた手法の継承といえます。実際、各都市での最初の都市計画は、都市計画道路網の計画でした。

・地域地区

地域地区は、図1に示したヨーロッパ諸国やアメリカの都市計画の源流(4)の建築用途や規模、密度の規定、源流(6)のゾーニングの日本版といえます。市街地を、ある一定の大きさを持つエリアに分け、各エリアで建てられる建物の用途や大きさを規制する方法です。例えば、工場と住宅など隣り合うことが望ましくない土地利用に関して、工場が立地できる場所を工業地域に限定するといった発想に基づいたものです。旧法の出発点では、住居地域、商業地域、工業地域、そして未指定の4種類しかありませんでした。本来、地域地区は既成市街地にも新規開発地にも効力を発揮する手法ですが、旧法の地域地区はあまり厳しい規制内容ではなく、現状追認的な性格がありました。

・土地区画整理事業

土地区画整理事業は、源流(4)と類似した仕組みです。十分な道路がなく、土地も不整形でそのままでは良好な市街化が望めない地域において、土地所有者たちが土地の一部を道路や公園などの公共施設の用地として無償で提供しつつ、全体の区画形状を整えていく事業です。制度としては、先行していた耕地整理事業に準拠するものでした。

土地所有者にしてみれば、公共施設に提供した分、自分の土地が減ることにはなるものの、道路や公園など生活に必要なインフラが整い、かつ以前よりも建物が立てやすい敷地が得られます。そのため住環境は向上し、かつ地価が上がるため、土地を宅地として分譲していくことによって事業として十分に成立します。

さらに、行政にしてみれば、土地買収に費用をかけることなく道路や公園を整備することができる、大変有り難い事業でした。都市化の最前線である郊外、さらに、間もなく都市化が始まろうとする農村部で都市化に先だって実施することで、良好な郊外住宅地の形成を導くことに貢献しました。いわば、都市への人口集中に伴う都市化の力を、都市整備の力に転用する仕組みだったのです。なお、1923年の関東大震災後の帝都復興や敗戦後の戦災復興においても、区画整理事業が大いに役立ちました。

図2は、戦前の藤沢市の都市計画図です。都市施設として都市計画街路と都市計画公園、また住居地域、商業地域、工業地域、未指定地の4種類の地域地区が指定されている様子が分かります。

図2:戦前の都市計画図

図2:戦前の都市計画図(参考:藤澤都市計劃圖、1941年頃、筆者所蔵)

図3は、東京の郊外での土地区画整理事業の、前と後の地図を並べたものです。現在まで継承されている都市計画の、主要な実現手段の原型が理解できます。

図3:土地区画整理事業の事業前(左)と、事業後(右)

図3:土地区画整理事業の事業前(左)と、事業後(右)(参考:今昔マップ on the webより作成)

3. 新法時代の都市計画の発展

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