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ダムの歴史:ダムの基礎知識2

ダムの基礎知識

更新日:2021年9月21日(初回投稿)
著者:法政大学 デザイン工学部 都市環境デザイン工学科 教授 溝渕 利明

前回は、ダムとは何か、どんな構造物なのかを解説しました。ダムは古くから建設されており、その歴史は約5,000年近くになります。また、ダムの中には3,000年近く供用されているものもあります。日本においては、明確な資料がないものの、飛鳥時代からダムが建設されていたといわれています。そして、ダムは他の構造物に比べて長く使用することができるようになっています。今回は、国内外のダムの歴史を紹介するとともに、ダムの寿命についても説明します。

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1. ダムの歴史(海外)

海外のダムの歴史においては、エジプト文明までさかのぼります。以下に、コシエイシュダム、サド・エル・カファラダム、グコーダム、ナー・エル・アシダムの4つのダムについて紹介します。

・コシエイシュダム
コシエイシュダムは、今から約4,900年前の紀元前2,900年頃に、エジプトのメネス王によって建設されました。ダムの歴史上、記録に残っている最古のものとされています。コシエイシュダムは、ナイル川に高さ約15m、堤頂長(ダムの幅)が約450mの石積みのダムで、約20㎞下流の首都メンフィスまで導水したといわれています。メンフィスとは、クフ王のピラミッドで有名なギザ(エジプトの首都カイロ南西部)から20km南、ミート・ラヒーナ近郊に位置する古代都市です。ただし、コシエイシュダムは、現在まで発見されていません。

・サド・エル・カファラダム
サド・エル・カファラダムは、遺跡として現存している世界最古のダムで、今から約4,800年前、紀元前2,750年頃のクフ王の時代に造られたと推定されます。堤高11m、堤頂長106mの石積みのダム(使用された石材量が約10万トンといわれている)です。このダムは、ピラミッド建設の際の石切場で働く作業員や家畜に、飲み水を供給していたと考えられています。いずれにしても、約5,000年前にはダムがあったということになります。サド・エル・カファラダムは、発掘調査の結果からダム自体に洪水吐(こうずいばき)を持たなかったことが分かっており、建設後40年で中央部分から河水が越流し、決壊したと推定されています。また、エジプト第12王朝時代のアメンエムハト4世の治世には、干拓により形成された農地に、灌漑(かんがい)用水を供給するためのダムが建設されたという記録が残っています。

この他、四大文明の一つであるメソポタミア文明においては、チグリス川・ユーフラテス川にダムが建設されたという記録が残されています。また、インダス文明でも、インダス川(図1)下流のマシュカイ渓谷というところに約4,000年前のダム遺跡が発見されています。

図1:現在のインダス川(パキスタンのスカルドゥ)

図1:現在のインダス川(パキスタンのスカルドゥ)

・グコーダム
グコーダムは、今から2,200年以上前の紀元前240年頃の中国において、黄河流域のグコー川に堤高30m、堤頂長300mのグコーダムが建設されたという記録が残っています。このダムは、12世紀初頭までの約1,300年間、ダムの高さにおいて世界一であったとされています。

・ナー・エル・アシダム
ナー・エル・アシダムは、現在も供用されている最古のダムで、シリアのホムス付近にあります。今から3,300年前の紀元前1,300年頃、サティ1世(前1,319~1,304)の時代に建設されたといわれています。堤高2m、堤頂長2kmあり(ダムというよりも堤に近い)、実に約3,000年もの間、使用され続けていることになります。また、イスラエルとヨルダンの国境近くの遊牧民ナバタ族が、紀元前後から大小17,000のダム群によって、涸川(かれがわ:雨が多い時だけ水が流れ、普段は水のない川)を農作地に変えたという記録が残っています。

2. ダムの歴史(日本国内)

日本のダムの歴史においては、灌漑用のため池が造られたことから始まり、明治時代の後半からは、コンクリートでダムが造られるようになりました。以下に、狭山池ダム、満濃池、本河内高部ダム、布引五本松ダムの4つのダムについて説明します。

・狭山池ダム
狭山池ダムは、大阪府にある現存する日本最古のため池です(図2)。狭山池ダムは、西暦616年に造られたという記録が日本書紀や古事記にあるものの、実際にいつ頃築造されたかは定かではありません。ただし、ため池の中の樋(とい)に使用された木材の年輪年代測定結果から616年と判定されており、この頃の築造で間違いないのではないか、と考えられています。狭山池ダムは、奈良時代の行基(東大寺の大仏造立の責任者)や、鎌倉時代の重源(平重衡による南都焼き討ちで焼失した東大寺大仏殿を復興させた僧)が改修を行っています。

図2:狭山池ダム(引用:大阪府、都市整備部、河川室河川整備課)

図2:狭山池ダム(引用:大阪府、都市整備部、河川室河川整備課

・満濃池
満濃池は、四国にある日本最大の灌漑用のため池です(図3)。貯水量は1,540万トンで、704年頃に築造されたと考えられています。818年には大雨で堰(せき)が決壊し、なかなか修復できなかったにもかかわらず、821年に空海がわずか2ヶ月で修復したといわれています。満濃池は、現在でも灌漑用のため池として使用されています。空海は、弘法大師の諡号(しごう:死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名)で知られる真言宗の開祖で、平安初期の僧です。若くして学問に秀で、30歳で遣唐使に選ばれて中国に渡っています。この時一緒に中国に渡ったのが、天台宗の開祖で比叡山延暦寺を開いた最澄です。彼らは、仏教だけでなく土木工学や薬学・医学も中国で学んでおり、空海は唐で学んだ最先端の土木技術を用いて満濃池の堰を修復したと思われます。

図3:満濃池

図3:満濃池

・本河内高部ダム
本河内高部ダムは、長崎市にある日本初の水道用のダムです。1891年(明治24年)に完成した、堤高18.6mのゾーン型アースダムで、ダムの計画および設計には、当時のイギリスのダム貯水池計画の技術が導入されたといわれます。その後、人口の増加などにより、下流部に日本で2番目に古い重力式コンクリートダムである本河内低部ダムが、1903年(明治36年)に建設されています(図4)。このダムは、堤高22.7m、堤頂長115.2m、貯水容量が63.4万m3です。このダムは、1982年の長崎大水害を契機に、治水機能を加えるため、竪坑(たてこう)型トンネル式洪水吐を増設する改修工事が行われています。また、多目的ダムとしての機能を持たせるために、ダムの上流側にコンクリートを増打ち(構造体よりも余分にコンクリートを打設すること)しています。これは、歴史的価値が高いダムの景観を、できるだけ損なわないように配慮したものといえます。

図4:本河内低部ダム

図4:本河内低部ダム

・布引五本松ダム
布引五本松ダムは、兵庫県神戸市にある日本で最初のコンクリートダムです(図5)。日本初の重力式コンクリートダムで、堤高は33.3m、堤頂長110.3m、総貯水量417,000m3であり、1897年着工、1900年に竣工(しゅんこう)しています。布引五本松ダムは、120年経った今も、水道用ダムとして使用されています。

図5:布引五本松ダム

図5:布引五本松ダム

3. ダムの寿命

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