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航空機の安全対策の基礎知識

航空機の安全対策の基礎知識

著者:東京大学名誉教授 未来ビジョンセンター 特任教授 鈴木 真二

航空機は高度な安全性が要求されるため、設計、開発、製造、運用の全ての段階で、細心の取り組みがなされます。しかし、それでも完全に事故をなくすことは困難です。1911年にイギリスで発行された航空雑誌「フライト」には、「友の不幸は人生最大の教訓という言葉があるが、不幸にも航空においてそれは事実である」と書かれています。事故から教訓を学ばなければならないのは、現在でも変わることがありません。本連載では6回にわたり、航空機の安全確保のための基礎知識を紹介します。今回は、世界初のジェット旅客機コメットの事故を例に、構造設計の考え方を説明します。

第1回:安全を保障する構造設計の考え方

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1. ジェット旅客機コメットの悲劇

第2次世界大戦後、航空業界は、民間旅客輸送の本格的再開に向けて激しく競い合いました。ジェット時代の幕開けです。アメリカやヨーロッパがジェットエンジンによる音速飛行を競い合った様子は、映画「アラビアのロレンス」のデビッド・リーン監督による「超音ジェット機」(原題:The Sound Barrier)の題材にもなっています。映画では、ジェット機による超音速飛行に執念を燃やす航空機会社の社長と、夫を試験飛行中の事故で失う社長の娘との葛藤が描かれています。

映画には、光り輝く最新のジェット旅客機コメットも登場します(図1)。ジェットエンジンのパイオニアであるイギリスが、世界に先駆けて開発した最新鋭機です。イギリスのデハビランド社が、自社製のジェットエンジン、ゴーストを2基搭載して開発し、大気の乱れのない成層圏を高速で飛行しました(旅客機のため、音速を超える飛行はしません)。1949年、初飛行に成功し、1952年には就航を開始しています。南回りで、ヒースロー空港と羽田空港を結ぶ航路も存在しました。

図1:世界初のジェット旅客機コメット

図1:世界初のジェット旅客機コメット(引用:Wikipedia、https://commons.wikimedia.org/wiki/File:BOAC_Comet_1952_Entebbe.jpg)

ところが、就航開始から間もない1954年1月に、ローマの国際空港を離陸したコメット機が消息不明になりました。その後、地中海上空で空中分解により、海上に墜落したことが判明します(図2)。乗員乗客35名全員が死亡するという悲惨な事故になりました。コメット機は直ちに運航停止となり、イギリス海軍のサルベージ船により、機体部品の多くが回収され、原因調査が始まりました。決定的な原因は不明であったものの、燃料系統などに60もの対策がなされ、同年3月23日、イギリス当局は就航の再開を認めました。

図2:地中海から回収された部品で組み立てられたコメット

図2:地中海から回収された部品で組み立てられたコメット(引用:コメット事故調査報告書、1955)

しかし、再び悲劇が襲いました。その2週間後の4月8日に、同じローマの国際空港を離陸した南アフリカ航空のコメット機が、地中海上で謎の空中分解を起こし、乗員乗客21名が犠牲となりました。イギリス政府は、同機の型式証明をはく奪し、国の威信をかけ、本格的な事故調査に乗り出しました。

民間航空機は、機体の開発国が、国連の専門機関であるICAO(International Civil Aviation Organization:国際民間航空機関)が定めたシカゴ条約にのっとり、自国の企業が開発した機体に型式証明を発行します。また、その機体を運航する運航国も、導入時に型式証明を発行し、その型式の安全性を認めます。さらに、車検のように、個々の機体に耐空証明を発行した上で利用が可能となります。コメットも、当然そうした証明を受けてはいたものの、安全性が覆されたため、証明がはく奪されたのです。

2. 事故原因は?

コメットは、気圧の低い成層圏を飛行するため、巡航中は客席内が加圧され、離着陸時には加圧がなくなります。そのため、離着陸を繰り返すごとに加圧が繰り返され、胴体外板には金属疲労が発生します。デハビランド社は、そのための疲労試験も実施し、想定される飛行回数を超えた5万4千回の加圧でも、金属疲労による破壊が起きないことを確認していました。空中分解を起こした両機の離着陸回数は、3,060回と900回にすぎず、金属疲労が原因とは考えにくいものでした。

ただし、この試験は胴体全体ではなく、胴体一部のセクションで行われていました。そこで、胴体全体を水没させる巨大な水槽を建造し、胴体の内も外も水没させ、内部の水圧を増減する疲労試験が、急きょ行われました(図3)。

図3:コメットの水槽を用いた疲労試験

図3:コメットの水槽を用いた疲労試験(引用:コメット事故調査報告書、1955年)

短時間で加減圧を行う加速試験を日夜実施したところ、試験開始2週間半後の6月24日、1,830回目の加圧で、胴体窓枠から亀裂が発生しました。加圧中の亀裂は、胴体破壊をもたらしかねません。

8月12日には、サルベージにより回収された部品からも、金属疲労による空中分解を裏付ける結果が見つかりました。胴体上面のアンテナ取り付け用開口部に、金属疲労による亀裂があり、これが胴体の空中分解の原因として有力視されました。

3. 金属疲労が起きないことを保証するセーフライフ構造とは

セーフライフとは、目標の設計寿命以内において、疲労などにより致命的な故障が生じないようにする設計思想をいいます。金属が繰り返して荷重を受けると、強度が低下し破断に至ることが、金属疲労として知られています。鉄鋼系材料の場合、百万回から千万回、繰り返し荷重をかけたところで、破断応力が低下しなくなる疲労限界が存在します。そのため、十分に頑強な構造にすれば、疲労破壊を免れることができます。航空機の脚柱などには、そのようなセーフライフ(安全寿命)設計がなされています。

ところが、胴体外板など、主要な航空機部材には、ジュラルミンと呼ばれる軽量なアルミ合金が多用されます。アルミ合金には、疲労限界が存在せず、小さな応力でも繰り返しにより、必ず疲労破壊が発生します。そのため、セーフライフにするには、設計寿命を定め、その間の繰り返し負荷によって疲労破壊が起きないことを保証しなくてはなりません。

コメットの開発でも、当然そうした疲労試験は行われていました。しかし、試験方法に不備がありました。前述のように、胴体全体の試験でなかったことに加え、試験部位に、想定される2倍の内圧に耐えることを確認した後に、疲労試験が実施されました。このため、窓枠の周囲など大きな応力が受ける部分が伸びきってしまい(塑性変形)、疲労による破壊が起きなくなっていたのです。

コメットは世界初のジェット旅客機であり、当時は適切な試験方法が確立されていなかったといえます。現在でも、旅客機の開発では、胴体全体での疲労試験は実施されます。日本では、戦後初の旅客機YS-11(初飛行1962年)には水槽での試験が行われました。また、現在も開発中の三菱スペースジェット(初飛行2015年)には、不燃ガスでの加圧による試験が実施されています。

4. その後の対策「亀裂が入っても空中分解しない」フェールセーフ構造

フェールセーフとは、故障や誤作動時に安全に制御するという設計思想をいいます。コメットは徹底した設計変更を経て、1958年にコメット4型として生まれ変わりました。応力集中を極力避けるため、窓枠が丸くなったことで、旧型と見分けられます。コメット4型は、ロンドン、ニューヨーク間の定期運航にジェット旅客機として初就航し、面目を保ったものの、直後に就航を開始した、より大型のボーイング707や、ダグラスDC-8に市場を奪われることになりました。

コメットの事故は、旅客機の胴体設計にも大きな影響を与えました。たとえ、胴体に亀裂が入ったとしても、いきなり空中分解に至らないように、胴体壁には亀裂の進展を止める金属テープを接着する方式も考案されました。これは、フェールセーフの考え方で、部品が壊れても安全を維持する構造設計にも、フェールセーフという言葉は使われます。金属テープの効果を確認するために、胴体壁に斧(おの)を落下させても胴体が破壊しないことを確認するギロチン試験も考案されました(図4)。

図4:ギロチンテスト(NASA CP-3160)と外壁部の亀裂の進展を止める金属テープ(Tear Strap)

図4:ギロチンテスト(NASA CP-3160)と外壁部の亀裂の進展を止める金属テープ(Tear Strap)

5. 「亀裂を点検によって発見する」というダメージトレランス構造

ダメージトレランスとは、亀裂の存在を許容し、定期検査によって、構造の亀裂を発見、修理することをいいます。定期検査の期間内に、小さな亀裂が深刻な大きさにならないことを証明することが求められます。もちろん、定期検査が適切に実施されることが前提にあります。1970年代に長期間飛行したジェット機から、フェールセーフ構造であっても、亀裂が深刻に発生する事象が発見され、適切な検査によって亀裂の発生を検出する必要性が指摘されました。これを踏まえて、アメリカの連邦航空局は1978年に、損傷許容(ダメージトレランス)設計という考え方を制定しました。

いかがでしたか? 今回は、コメットの空中分解事故を契機に、構造設計の方法が確立されていく過程を紹介しました。また、セーフライフ、フェールセーフ、ダメージトレランスという構造設計の考え方を説明しました。これらは、構造設計だけではなく、設計における安全性確保の基本的な考え方でもあります。身近にも適用例があるか探してみてください。次回は、高度な自動操縦を備えた旅客機が、一つのランプ切れで墜落した謎めいた事故を取り上げます。お楽しみに!

参考文献
鈴木真二、落ちない飛行機への挑戦:航空機事故ゼロの未来へ、化学同人、2014
JAL、航空実用辞典、損傷許容設計、http://www.jal.com/ja/jiten/dict/p103.html

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第2回:自動操縦の落とし穴~ランプ切れで墜落した最新鋭機~

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前回は、コメットの空中分解事故を契機に、構造設計の方法が確立されていく過程と、セーフライフ、フェールセーフ、ダメージトレランスという構造設計の考え方を紹介しました。今回は、高度な自動操縦を備えた旅客機が、1つのランプ切れで墜落したという謎めいた事故を取り上げます。

1. 航空機分野における自動操縦

昨今、自動車の自動運転が急速に進んでいます。これに対し、航空機分野における自動操縦化は、アメリカの動力飛行機の発明家であるライト兄弟の時代から取り組まれていました。1903年に人類初の動力飛行に成功したライト兄弟は、航空機の操縦には高度な技が要求されるため、その普及には自動操縦の開発が必須であると考えました(図1)。実際、ライト兄弟は、おもりを付けた振り子の傾きから機体の左右の傾きを検出して、自動的に機体を水平に保つ自動操縦機構(オートパイロット)を発明し、1913年に公開飛行に成功しています。

図1:世界初の動力航空機、ライトフライヤー号の初飛行、1903年

図1:世界初の動力航空機、ライトフライヤー号の初飛行、1903年

もっとも、ライト兄弟のオートパイロットは、定常飛行以外では、機体の運動により慣性力が加わるという不具合がありました。翌年の1914年には、スペリーにより、ジャイロセンサを利用したオートパイロットが開発されました。このジャイロセンサは、高速回転するコマが一定の姿勢を保つことで機体の姿勢を検知するものです。この開発が人々の関心を集め、結果としてライト兄弟の方式は実用には至りませんでした。

センサだけではなく、駆動系や電動系の周辺技術が整った本格的な自動操縦装置の登場は、第2次世界大戦後まで待たねばなりませんでした。最初の実用例は、前回紹介したように、ジェット機への適用でした。空気が薄い成層圏を飛行するジェット機は、機体の姿勢のずれを尾翼が作る空気力だけで補正するのでは不十分なので、巨大な尾翼を備えるか、あるいは常にパイロットの操縦が必要とされました。自動操縦装置が導入されたことで、こうした課題は解決されました。エンジンの操縦を自動化するオートスロットルも実用化されました。現在の旅客機では、パイロットはほとんどの操縦をオートパイロットやオートスロットルに任せることも可能です。

2. 自動操縦を過信した最新鋭機の墜落

ロッキードL-1011トライスターは、アメリカのロッキード社(現在はロッキード・マーチン社)が開発・製造したジェット旅客機です。日本にも導入されたものの、当時の田中角栄首相への賄賂がロッキード事件として大きく取り上げられたこともあり、日本では良い印象を持たれなかったようです。

ロッキードL-1011トライスターは、ロッキード社が社運を賭けて開発し、1970年に初飛行させた最新鋭機です。ロッキード社は、そもそも、軍用機に秀でたメーカーでした。また、第2次世界大戦後は、優美な4発プロペラ旅客機、コンステレーションでも成功していました。ただし、ジェット旅客機の開発には後れを取り、1960年代に入ると、民間機部門は、ボーイング社やダグラス社に対して苦戦を強いられました。これを打開するために開発されたのが、トライスターです。

旅客輸送の増加に応えるために、客席の通路を2つ持つ、いわゆるワイドボディー機への要求が高まり、ロッキード社はイギリスのロールス・ロイス社のジェットエンジンを搭載したトライスターを開発しました。ボーイング社が開発する747ほど大型ではないので、4基のエンジンは不要だったものの、2基のエンジンでは性能が不足したため、3基搭載することになりました。3基目のエンジンは、胴体後部に搭載する意欲的な設計でした。

ロッキード社は、劣勢を覆すため、軍用機で実績のある最新鋭の自動操縦機構も採用しました。ロールス・ロイスのエンジンも、炭素繊維複合材(CFRP)製のファンブレードを新規に採用した最新鋭のジェットエンジンでした。ところが、CFRPファンブレードは不具合により、途中からチタン材に設計変更となり、トライスターの運用開始は1972年4月まで遅れることになりました。

トライスターが運用開始された同年の12月29日、イースタン航空401便トライスターが、夜のマイアミ空港への着陸に失敗し、乗員乗客176名中103名が死亡するという事故に見舞われました(図2)。

図2:ロッキードトライスター

図2:ロッキードトライスター(引用:Wikipedia、イースタン航空401便墜落事故

マイアミ空港に着陸態勢に入った同機は、前輪脚の降下を示す緑色のランプがコックピットで点灯せず、パイロットは状況を確認するため、着陸をあきらめ、高度を再び上昇させました。自動操縦をセットし、空港の周回路に機体を導きました。しかし、このあと、なぜか高度が下がり続け、夜の沼地に吸い込まれるように墜落しました(図3)。

図3:墜落したトライスター機の飛行経路

図3:墜落したトライスター機の飛行経路(引用:NTSB事故調査報告書

3. 原因はランプ切れ

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4. 自動操縦の落とし穴とコックピットリソースマネジメント
(CRM)の重要性

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5. 自動車の自動運転機能はどうか

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第3回:自然の驚異から安全を確保する考え方

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前回は、旅客機の事故から、自動化システムの問題点や課題を学びました。今回は、未知の突風で墜落した航空機の事故を例に、自然の驚異から安全を確保する考え方を説明します。

1. 雷雨下の着陸で墜落したイースタン航空66便

1975年6月24日午後5時5分、イースタン航空66便、ボーイング727-225型機は、ニューヨークのJFK国際空港への着陸時に高度が低下し、22L滑走路の手前にあった誘導灯に激突しました。機体は大破炎上し、乗員乗客124名中112名が死亡、12名が救出されたものの、うち3名は1週間後に病院で亡くなるという大事故になりました(図1)。

 図1:滑走路手前の誘導灯に激突した墜落現場(引用:Wikidedia、イースタン航空66便着陸失敗事故)

図1:滑走路手前の誘導灯に激突した墜落現場(引用:Wikidedia、イースタン航空66便着陸失敗事故

事故当日、空港周辺は雷雨による豪雨と強風に見舞われていました。イースタン航空66便の10分前に着陸したDC-8型貨物機からは、途方もないウィンドシアに遭遇したという報告が管制官になされました。ウィンドシアとは、風向きが急変する状況をいいます。飛行機は、翼に対向する気流(翼に対する相対的な対気速度)により揚力を発生させることで、高度を保ちます。そのため、風向きが向かい風から追い風に急変すると、翼の揚力が急激に低下し、機体が急に高度を落とすことがあります。

管制官は、DC-8型貨物機からウィンドシアに遭遇したという報告を受けたものの、空港の風速計に強風の記録がなかったため、イースタン航空66便に着陸を許可しました。急激な高度の低下に気付いた乗務員は、墜落の直前に「離陸推力!」と叫び、エンジン推力を上げて機体を上昇させようとしました。しかし、誘導灯への激突を食い止めることはできませんでした。

2. パイロットミス説を覆した藤田教授の仮説

事故調査では当初、パイロットミス説が有力でした。事故調査委員会は、天候が悪かったためパイロットは滑走路を目視で捉えることに注力し、対気速度の低下に気付くのが遅れたのではないかと考えたのです。こうした状況で、イースタン航空はシカゴ大学の藤田哲也教授に、独自の調査を依頼しました。ウィンドシアの報告があったにもかかわらず、空港の風速計では問題となるような強風は記録されなかったことを不審に考えたためでした。

藤田教授はトーネード(竜巻)の研究で著名な気象学者です。現在の九州工業大学を卒業後、同大学で物理学助教授となり、1945年に長崎の原爆被害調査に参加します。彼は、原爆の圧力波が地上で放射状に広がり、木々を倒していたことに注目しました。そして、雷雲から下降気流が発生し、地上で気流が周囲に広がるという仮説を立てました。1953年、雷雲が作る下降気流の研究により東京大学で博士号を取得。その後、渡米し、シカゴ大学の教授となりました。

藤田氏の著書「ある気象学者の一生」によると、着陸失敗したイースタン航空66便のデータレコーダーを調べた結果、「事故の原因は単なるパイロット・エラーではなく、飛行機を落としたのは、雷雲から下降してきて、地面に激突し、放射状に広がった強風らしい」と推定しました。

図2のように、下降気流が周囲に広がる状況下で、飛行機が降下する場合を考えてみましょう。当初、飛行機は向かい風を受けます。しかし、下降風は周囲に広がるため、中心部を過ぎると風向きが急変し、追い風を受けるようになります。これがウィンドシアの原因です。風向きの変化により、飛行機は揚力を失い、墜落の危機に陥ります。

図2:マイクロバースト(上図、参考:FAA)とそれに遭遇した航空機(下図、参考:NASA(Making the Skies Safe from Windshear)を基に著者が制作

図2:マイクロバースト(上図、参考:FAA)とそれに遭遇した航空機(下図、参考:NASA(Making the Skies Safe from Windshear)を基に著者が制作

飛行機が高度を上げるには、操縦かんを引き、機首を上げる方法と、エンジンの推力を上げ、加速することで揚力を獲得する方法があります。前者は短時間に高度を上げることができるものの、急激な機首上げは翼の失速を招きかねません。

イースタン航空66便のパイロットは、後者を選択しました。高度が低い場合、失速は直ちに墜落に陥るため、パイロットがエンジンの推力を最大にして高度を上げようとしたことは適切だったといえます。ただし、ジェットエンジンはファンやタービンを回転させることで推力を得るため、スロットルを操作し、燃料流量を増加させても、推力が上がるまでには時間がかかります。そのため、パイロットの操作にもかかわらず十分な高度上昇が得られず、誘導灯に激突したと考えられます。

藤田教授は、こうした局所的な下降風をマイクロバーストと名付けました。マイクロバーストの範囲は限定的で、短期に収まるため、空港の風速計ではその発生を捉えることができなかったと考えられます。事故調査委員会は、イースタン航空66便の事故原因として、気流の変化にパイロットが対応できなかったことを認めました。

藤田教授の主張は認められたものの、マイクロバーストが直接に観測できたわけではなく、その仮説に異議を唱える気象学者もいたそうです。藤田教授は自ら軽飛行機に乗り、マイクロバーストが発生する証拠を捉えるべく探し回り、ついに強い下降風で局地的に穀物が倒された現場を見つけ出しました。

3. マイクロバーストを検知する空港の対策

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4. さらに進んだ対策は機体搭載型のウィンドシア警報装置

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5. レーザを利用した究極のウィンドシア警報装置

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第4回:細部に潜むのは神か悪魔か

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前回は、自然の驚異に対する航空機の安全対策への考え方を紹介しました。今回は、わずかな部品の整備不足が航空機の操縦不能を引き起こし、太平洋に墜落した事故を取り上げ、安全を維持する基本的原則を検証します。100万点もの部品から成る航空機に対して、航空業界はどのようにして、高度な安全性や信頼性を実現しているのでしょうか?

1. 操縦不能で急降下した航空機

パイロット役のデンゼル・ワシントンが熱演した2012年公開のハリウッド映画「フライト」を見たことがあるでしょうか? 映画は見ていなくても、反転した旅客機が地上すれすれで飛行する映画のテレビCMは記憶に残っているかもしれません。飛行中に操縦不能になった機体が急降下し、墜落寸前でパイロットが機体を反転させ、緊急に胴体着陸させるシーンが圧巻です。巧みな操縦で最悪の事態から多くの乗客を救ったパイロットはヒーローとなります。しかし、実は彼はコカイン中毒であることが判明し、事態が急変する・・・そんな映画でした。

この映画は、実際の航空機事故をヒントにしたといわれています。2000年1月31日、太平洋に墜落したアラスカ航空261便の事故です。マクドネル・ダグラスMD-83として運航していたアラスカ航空261便は、メキシコのプエルト・ヴァリャルタ国際空港を出発し、サンフランシスコ経由でシアトルに向かっていました。離陸上昇中から上昇降下の操縦を自動化するオートパイロットが不調であったものの、すぐに引き返すようにはマニュアルには設定されていませんでした。

離陸直後は搭載燃料が多く、重量が着陸重量を超過するため、海上で燃料を投下する装置が搭載されている機体もあります。しかし、この機体にはそうした装置がなく、乗員は手動操縦で飛行を継続することを選択しました。途中でオートパイロットが再び稼働し始めました。しかしながら、不調であることは明らかで、機長は調子を確認するために、再び手動操縦に切り替えることにしました。

MD-83型機はエンジンを胴体後部に持つため、水平尾翼は垂直尾翼の上部に備えられています(図1)。水平尾翼は、機体の姿勢角(ピッチ角)を変化させるために重要な尾翼です。これにより、機体を上昇降下させます。MD-83型機の場合、水平尾翼の後部にある昇降舵をパイロットが操縦輪で操作するとともに、水平尾翼全体の角度を電動モータにより自動、または手動で変化させ、尾翼にかかる揚力をコントロールすることでピッチ角を変化させます。

図1:MD-83型機の水平尾翼可動機構(参考:Aircraft Accident Report(事故調査報告書)P.13に加筆

図1:MD-83型機の水平尾翼可動機構
  (参考:Aircraft Accident Report(事故調査報告書)P.13に加筆

オートパイロットは、この電動モータをコンピュータの指令によって操作します。電動モータには、主と副の2系統があり、ジャッキスクリューを回転させることで、下部のナット部とのかみ合わせにより水平尾翼の前端を上下させます。アラスカ航空261便は、スクリューとナットのかみ合わせに問題があり、オートパイロットによる水平尾翼の角度変更がスムーズに行えませんでした。

スクリューとナットは、ついには固着してしまいます。手動で無理に主と副の電動モータを同時回転させた結果、スクリューの下端にある固定機構までが破損し、水平尾翼は前縁を大きく上げた位置まで動いてしまいました。この結果、水平尾翼に大きな揚力が発生することになり、機体は降下を開始します(図2)。そして、途中で裏返し姿勢となり、制御不能のまま午後4時21分頃、太平洋上に墜落しました。映画「フライト」とは異なり、乗員5名、乗客83名の計88名全員が犠牲になったのです。

図2:アラスカ航空261便の飛行再現アニメーション(引用:https://en.wikipedia.org/wiki/Alaska_Airlines_Flight_261)

図2:アラスカ航空261便の飛行再現アニメーション
  (引用:https://en.wikipedia.org/wiki/Alaska_Airlines_Flight_261

2. 事故の原因はスクリューの潤滑グリース切れ

アラスカ航空261便が太平洋上に墜落後、無人の捜索潜水艇が利用され、ブラックボックスと呼ばれるフライトデータレコーダーや、コックピットボイスレコーダーを含む機体の大部分が回収され、事故調査が開始されました。調査の結果、水平尾翼の角度を変更するためのジャッキスクリューに潤滑グリースが存在せず、スクリューとかみ合うナットが削り取られ、ワイヤ状にスクリューに絡みついているのが見つかりました(図3)。スクリューの潤滑がなくなり、ナットとのかみ合いが固くなった状態で、本来同時に使うことのない主と副の電動モータが同時にスクリューを回転させたため、スクリューの上昇を固定するストッパーまで破壊され、その結果、水平尾翼先端が大きく浮かび上がったのでした。

図3:回収された潤滑グリースがないジャッキスクリュー(引用:Aircraft Accident Report(事故調査報告書)P.60

図3:回収された潤滑グリースがないジャッキスクリュー
  (引用:Aircraft Accident Report(事故調査報告書)P.60

問題は、潤滑グリース切れがなぜ起きたかという点でした。アラスカ航空の整備点検作業において、潤滑グリースが十分に塗布されなかったのではと疑われました。実際、アラスカ航空は、この部分の整備点検期間を延長することを連邦航空局(FAA:Federal Aviation Administration)に申請し、FAAもこれを認めていました。また、事故調査委員会は、整備にかけた時間が十分ではなかったことも突き止めました。さらには、アラスカ航空の整備士として働いていた者が、こうした整備の不備をFAAへ告発していた実態も明らかになりました。

こうしたずさんな整備の背景には、1990年代にアラスカ航空の経営が厳しくなり、整備にかける経費を切り詰めていたという問題がありました。このような安全に対する会社内部の管理に関しては別の機会に話題としたいと思います。ここでは純粋に、技術的な課題に関して話を進めます。

3. 信頼性を評価するルッサーの法則

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4. システムの信頼性を保証する設計ツールFTA、FMEA

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5. 日ごろの業務や生活でも心がけたいルッサーの法則

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